【解説と意見】NHKプロフェッショナル仕事の流儀 ワンちゃんスペシャル(第349回2018年1月29日放送分)

うなる犬

この記事を作成するのに、丸2日かかりました。連休はこれで潰れました。他にもすることはたくさん有りますが、それを置いても緊急事態なのです。

私がなぜ、この記事に膨大な時間をかけてまで、書こうと思ったか。それは、放送局や出演した訓練士側の意見だけで判断していただくのではなく、皆様に正しい知識を持って理解していただきたいからです。

あの放送を完全に鵜呑みにして、そのまま感動物語で終わってしまい、あのような手法もあるのだと間違った方向に進む人たちが出てしまうかもしれない。そしてそれにより、動物たちの問題行動が増えて殺処分に至ったり、もしくは動物本来の生活が出来なくなってしまう子たちが、まちがいなく増えてしまうと心配したからです。

ほめるしつけが主流になり、本当に穏やかな動物たちが増えたにもかかわらず、それに逆行するようなことを推奨する内容に、獣医師としての意見を発しなければいけないと思いました。

動物の福祉を守るために、絶対に阻止しなくてはならないのです。ましてや獣医療の分野のなかで臨床行動学に興味を持ち、積極的に勉強をしている人間としては、見過ごすことの出来ない大きな問題であるからです。

本当に、残念な気持ちいっぱいで、とても心配しております。

今回3人の構成になっていましたが、あえて訓練士さんの部分しか見ていません。私なりの意見と感想を書きます。コメントはしていますが、非難しているつもりはありません。すごく長文ですが読んでいただけるなら、最後まで読んで下さい。私の本当の気持ちは最後にまとめています。

テレビ番組は、制作者の意図で誘導される危険性がある

SNS(私のつながりは動物関係者が多いです)上で、「無音で見た方が良い」と話題にもなっていました。私が視聴する前に当院のスタッフが見て、感想を教えてくれました。

先生、あれはナレーションで、ずいぶん脚色されていますよ。

私はビックリしました。彼女にはそのことを全く伝えていなかったのです。彼女は、当院で働き始めて年単位という訳でもなく、ましてや現在、動物とは一切関係のない大学のまだ学生さんなのです。そんな彼女に、そのような感覚が既に備わっているとは・・・。

すばらしいナレーションで、感動物語に。

きっと取材された方は感動されたのでしょう。その思いがナレーションで伝わってきました。確かに思い返せば、プロフェッショナルの切り口がそんな感じですね。だから、冷静に客観的に事実を受け止め、一度頭の中で整理しないと、どうしても制作者の意図が入ってしまうのだなと、今回の放送を見て改めて気づくことが出来ました。

逆にその前に放送されたクローズアップ現代(動物愛護団体“崩壊” ~犬・猫 殺処分ゼロの裏側で~)は、本当にフラットで、どのようにも捉えられる内容でした。なので、制作意図がわからないと言うのも散見しましたが、今の時代、多くの方がコメンテーターの考えに誘導され、放送者の意図と統一見解のもと、メディアを見せられているのかもしれません。その為、あえて直接的なメッセージが入っていなかったからこそ、私はとても良い作りになっていたと受け止めました。部分部分だけで取ってしまうと、なんで?なんていろいろ言いたいことはありますが、それも何かしらのメッセージ性があり、全体を通してやっと繋がる内容であり、人それぞれで考えられる構成なのではないかと考えたのです。

プロフェッショナル仕事の流儀と言う番組の題名

番組の題名が、そのような心理に拍車をかけていると思います。私も今まではこの番組を、番組名と信頼出来るNHKの作成と言う部分で鵜呑みにして見ていた部分もありました。改めて自分の心理分析が出来ました。恐ろしいことです。

専門知識を持ち合わせていない多くの視聴者が、このフィルター(プロフェッショナルに出るような人のすることは、絶対正しい)にかかったのは、否定出来ない事実だと思います。

抱っこさせたから、成功なのか?

放送中の訓練で、問題行動を抱えている柴犬が、訓練士の元に歩み寄り抱っこさせるという感動のシーンがありました。

私の見方は、恐る恐る訓練士に近づく。こうすれば、助かると思っての行為のようにも見えました。それは普段の一般診療で行う作業と同じく、無の境地で観察してみました。その上での私の所見の一つです。とらえ方は様々かもしれません。

また犬たちは、人によって動物によって態度を変えます。と言うか、当たり前です。私たち人間でもそうですよね。使い分けというような汚い話ではなく、身内と他人とでは気の使いようが違うようにそういう意味でも、態度は変わります。

だからこそ、日常生活に戻れば、逆戻りする犬たちもいます。訓練所ではバッチリでも、家に帰って時間が経てば少しずつ戻っていく。預けて何とかなる訳でなく、問題の根本を見つめ直し原因を絶つことを、人間も学ばなくてはならないと思います。犬の訓練よりもそちらへ費やす時間の方が、本来は必要なことなのです。

あの抱っこは、本当に成功なのでしょうか?おびえながらも無気力ながらも、そんな中での抱きつき行為であれば・・・?

そして番組最後に、全く別のシーンで、もう一度柴犬を両手で高く持ち上げる場面が出てきました。あれは愛情表現としてあのような抱き方をしているのでしょうか。怖い状況でも怖がらないようにする練習だったのでしょうか。私にはどちらの意図なのか、もしくは別な意味があるのか分かりませんでした。

いずれにしても、私は全くあのようなことはしません。あのような抱き方は動物を不安にさせ、また、腰を悪くしたり健康管理のためにもよくないので、飼い主には「絶対にしないで下さい」と伝えます。

生かすことが、全てでしょうか?(殺処分ゼロ問題)

あの訓練士さんは、生かすことに、とてもこだわっていました。おっしゃっていることはよく分かります。私も十数年前までは、全く同じように思っていましたから。

「獣医師がきちんとした福祉の知識が無いから、そして安楽死をしないから、殺処分が減らない」と友人に言われ、ひどいモヤモヤを抱えていました。なかなかきつい言葉でしょ?私も当初、心が折れそうになりました。自分の中での経験と、動物に対しての考えもありましたから、それを全否定されたような形ですもんね。

普通の獣医師であれば、シャットアウトすることでしょう。動物のプロとしてのプライドが邪魔をして。

でも、だからこそ、彼女の言う意味を理解するために動物福祉の勉強会に出て、自分の気持ちと違う違和感を持ちながらも、「この人たちが言いたいことは?」と頑張って耳を傾けてきました。

テレビやネットの情報ではなく、正しい生の情報を求めて、先にも紹介させていただきましたクローズアップ現代の解説で出演されていた山﨑恵子先生の講演会などをはじめ、獣医療とは関係の無い様々な講演会に時間を割き、お金を払い、通いました。そして、やっと分かってきたのです。

そして現在は、獣医臨床動物行動学が方向性が全く同じであり、今までの情報収集と平行して、科学的にも吸収出来る環境になりました。途切れることなく、より濃密に学べるチャンスが増えました。そしてもちろん、動物病院として仕事に生かせています。

もし私自身が、牢屋に閉じ込められ、言うことを聞かなければずっと痛い事が続く状態となったら、どんな気持ちでしょうか。そして、「よし」の号令が出たのに、「なんで食べてるんだよ。おめぇーは!」と竹の棒で静止させらせる。ホッと出来ない。「よし」と言われたり「待て」と言われたり犬にとっては意味不明な号令。当然、人を信じられない。

もう、どうしたら良いの?私がわんこだったら頭を掻きむしり、パニックになって混乱してしまうかもしれません。常にピリピリして、体の中からあふれてくるアドレナリンやステロイドがMAXの状態なら、私は死んだほうがマシと思う。人間であれば神経を壊してしまい、自律神経失調症にもなりかねないでしょう。生かされる方がつらい。私は人間だから、こう考えます。

でも死ねないなら、死ぬことさえ許されないのであれば、そう言う概念がそもそも無かったら、魂を捨てる。なんでもする。つらさから逃げるためにそうなることでしょう。

人間では、学習性無力感などで紹介されています。犬にも、この学習性無力と言うのは存在するのです。科学的に証明されています。良かったらこの単語を調べてみて下さい。

いかに、福祉に反しているか、分かるかと思います。

もし私が、毎日毎日殴られたり罵声を浴びせられるくらいだったら、「裸になって歩け。そしたら許す」と言われたら、もしかしたらそうするかもしれない。究極の精神状態まで追いやられたら、指示を出している人に媚び、好きなフリもするかもしれない。その方が、安全だったら精一杯の演技をするかもしれない。本来そんな人間ではありませんが、究極の精神状態になったらどうなるでしょうか。

そんな事をしているうちに精神状態は錯覚していき、洗脳されている状態になってしまうのかもしれない。

とある宗教団体に入り、外部の人にとってはおかしいと思えることであっても、そこにいる彼らにとっては、それが幸せなことがあります。

代表的なものに、検挙された大規模宗教団体がありましたよね。多くの国民が否定しました。痛い苦しい修行をしても、自分で幸せと思っている。それが洗脳。

犬たちが、そういう心理になっていると考えたら、どうなのでしょうか。

体の中で何が起きているのかを想像しながら、こうやって淡々と書くと、とても恐ろしいことだと思いませんか?

そんな状態で、生殺しにされながら生きていても、生きていさえすれば、それでいいのですか。

放送内では洪水法という手法を用いての学習訓練も行われており、これは上手くいく場合は、短期間でより強固な成果を得られますが、恐怖が残っていると再発します。また、無気力を作り出したり、刺激感作によるリスクがとても大きい方法です。副作用の危険性が強すぎます。そして、普段私たちが使う馴化という訓練とは全く異なるものです。

動物福祉の観点からも、また先に述べたような副作用もリスクも高すぎるため、通常この手法は選択されることはありません。一般臨床においても、副作用の強すぎる治療は存在しても、選択されないのと同じ事ではないでしょうか。(この方法の説明はあまり必要ないと思われるので、あえて専門用語を用い、短い文章ですませております)

犬たちの精神疾患

さらに心が敏感で耐えられない子は、常同障害などで自分の体を傷つけます。近年は脳の疾患が関与している症例もあると言われ始めていますが、メンタルのコントロールも必須の病気です。人間の強迫性障害に相当すると言われています。

昔、私のかかりつけの患者さんで尾を、骨が出るほど噛んだ子もいました。骨がむき出しになったのでその部分だけ整復するため、緊急オペをしました。当時、常同障害と言う病気を認識しておらず、馬尾症候群などの痛みからの噛み砕きと思っていました。今思い返したら、診断の選択肢がもう少しあり、心からのアプローチも除外診断として必要だったのではないかと思います。

なので、臨床現場では精神疾患なのにもかかわらず、体の病気と診断がついたり、また逆のこともあったりします。これは、人間の病院でも境界線はかなり難しいところですから、動物の場合はもっと難しいところです。動物と獣医師の関係だけではなく、飼い主さんの観察力がかなり大きく占める部分もあり、そもそも治療は飼い主自身が行うと言う分野でもあるからです。

そんな子はテレビに出て無かったですが、こころを病んでしまう子も居るはずなのです。あれだけの事をされなくても心が壊れる子はたくさんいます。

犬たちの精神疾患が有ると言うことも、まだまだ今の日本では理解されておらず、放置されているのが現状です。その為、こじれてしまい、最終的に殺処分に至っているケースもあるのです。

噛みつく犬との私の生活(経験)

愛護や感情論だけで言っているのでは無いです。

私は、噛みつく犬を引き取り、最期まで看取りました。

被害者多数でした。大けがになり、何人も病院送りになっています。普段は、ほとんど咬まれない私ですら咬まれてしまいました。しかし彼のことをしっかり観察し、気持ちにより添う努力をし、本当に噛むようなシチュエーションを作らないように頑張りました。

犬の立場に立って、ひたすら安心感を・・・押し付けでなく。

さらに認知症になって、介護もしました。診療が忙しい中でも、彼がケージ内で起きれなくなって身動きが取れず鳴き叫んだら、すぐに助けに行きました。CTの検査も受けさせました。完全に我が子として育てました。違ったのは、彼の住まいは、入院室のケージの中。他の子とは違う生活。とっさの時、うちの犬が死んでしまうかも知れないから。そして、彼自身がその生活に慣れてしまい、新たな環境の方がストレスになりそうだったからです。

さいわい認知症になってからは、攻撃性は全くなくなりました。咬まれた原因となった耳を、何の警戒もなく一人で見ることはもちろん、治療も出来る状態になりました。あらら、歩いて行かないでねって位で制御しながらお世話が出来ました。認知症が入るずっと前から、彼に恐怖を与えることはなかったので、いつから本当に攻撃性が全く無くなったのか分からないくらいでした。

認知症になって攻撃性が出てくるわんこも居ますが、彼と私たちの長いつきあいの中で、彼が穏やかな気持ちになれた証なのかもしれません。本当に最後の約1年は穏やかで、何をしても大丈夫な感じまでになりました。

咬まれてしまった

先ほども書きましたが、私も縫うほどのケガを2回しています。外科病院に駆け込みました。1回目はL字に裂け縫合。2回目は骨に当たったので、雑菌除去のため局所麻酔をかけ鋭匙という器具でゴリゴリとその部分を削ぎ縫っていただきました。その2回目の時の事を、これから書きます。スタッフも別件で肉が出るほど咬まれています。別なスタッフは、ケージの外のゴミを手で取っていただけで、ケージ越しに咬まれ、指の皮を持って行かれました。

でも、殴ったり蹴ったりしていません

ずいぶん慣れ、顔も撫でさせるようになって来ました。彼は元々外耳炎持ちで、耳をとても気にしていました。耳から液体が垂れてべたべたで、しかもしきりに頭を振るくらい不快な状態でした。どれどれと優しく撫でながら、耳の周りを触っても触れそうな状態で、やさしくゆっくり耳の中を確認していた時のことでした。

突然咬みつかれ、手を左右にブルブル振られてました。30秒から1分くらい、結構長い時間でした。ガルルルルとかなり興奮状態で手首の骨の部分に食いつきました。肉より骨の痛みの方が痛いのはご存知のこと、あまりの痛みに悪寒が走り、血圧が落ち、目の前が真っ白になっていきました。そんな中で倒れそうになりながらも、冷静に考えました。彼を落ち着かせる為、静かに待ちました。一瞬、彼も顎が疲れたのか、離しました。そのスキに手を抜きましたが、再度向かって来るのが分かったので、かわしました。だから、傷はその1カ所で済みました。

そしてあの状態で、私がパニックになっていたり、大声で怒鳴って彼に攻撃を加えていたら、私の腕の神経はダメになっていたかもしれません。太い血管を損傷したかもしれません。そしてさらなる攻撃で、もっと大けがを負ったかもしれません。利き手の右腕です。ビックリもして、もう咬まれただけで痛いのにブルブル振られたのに、良く耐えたなって思います。プロ根性だって。今でも思い返すと、とっさに良く判断したもんだと思います。

たぶん冷静に考えられたのは、憎いとか腹立たしいとかそんな感情が一切無かったからだと思います。訓練士さんが「こんにゃろ」とか「こん畜生」かそんなことをおっしゃっていましたが、その時の私には、持ち合わせていない感情でした。「ごめんね。耳の違和感があったのに、触った私が悪かったよね。怖かったよね」

ただそれだけ。私って馬鹿だなと自分を責め、ガッカリして、ショックで、そんな無の境地でした。だからこそ、彼もすぐ冷静さを取り戻し、ふと我に返ったのかもしれません。この咬傷事故は、今から10年近く前のことです。慣れてきたからわざと口輪をせず、怖がらせないでおこうというのが仇になってしまったのです。

咬み終わったあとの彼の顔も、悲しそうでした。後味が悪そうな感じです。わんこも決してこのような事態を望んでいません。そう言う意味で、本当に私が悪いことをしてしまいました。

(遺伝性疾患などを含む医学的な疾患が除外された)多くの咬むわんこが、そんな心境だと思います。

引き取った初めは、私も浅はかで戦おうとしましたが、1回で違うと気づきました。なめられるとか、上下関係とか、まだまだそんなことが当たり前だった当時、正しい行動学も学んでない時でしたが、感覚的に違うとすぐに悟りました。ダメだ!

どのように対応すれば良いのか

放送中では、わざと怖がらせるシチュエーションで、噛まない練習と言うような訓練が実施されていました。しかし私の場合は、人が気をつけて、彼を不安にさせない、安心を与える努力をしました。

私たちの都合を、押し付けるのではなく。

実際、私はリードに足を何度か引っかかけて、犬をビックリさせてしまった事が有ります。「あ、怖がらせてしまった!!!申し訳ない」そんな気持ちからすかさず、全力で「ゴメン!」のフォローを入れます。それはただ言えば良いではないのです。全身全霊で心を込めて謝る。許してもらえないのは自分が悪い訳です。そんな勢いです。そして、そもそもそうならないように気をつける。その気持ちが大切なのだと思います。

でも、同じシチュエーションでタイミングがズレて、犬に恐怖心を与えてしまった人は噛まれました。

それでもみんなで、恐怖を与えない努力、私たちはあなたの事を怒らないわと言う温かい見守りの繰り返しで、だんだん彼にも安心感が芽生えて来ました。信じてくれるようになって来たのです。信じくれた彼に感謝です。

人は得てして、犬は下と言う態度を取ります。上下関係。でも、そうですか?

虐待もない、適切な医療、適温の空間、食事が整っていれば、それだけで幸せなのか?

だから、叩いたり虐待なんて一切してません。散歩も朝夕行っていました。ドッグランでも頭をなでてあげたりお腹を撫でることもありました。病院で過ごした残り半分は、おそらく彼が怒ると言う事は、全く無かったと記憶しています。それくらい丁寧に扱い、彼も私たちが安全だと理解してくれるに至りました。

放送での訓練施設のようなすきま風の入るような土間ではなく、動物病院の入院室は衛生状態も格段に優れている居住スペースです。食事も当然、訓練所とは比べものにならないくらい健康に見合った食事をあげられますし、最後は一般家庭以上のきちんとした介護も出来ました。盆正月もゴールデンウイークも返上で、毎日欠かさず病院に出て来て世話をしました。

でも、彼は大半をケージの中で過ごしていました。彼も、率先してケージに入ってそこで安心していました。でもこれで、素直に安らかだと喜んで良いことではありません。5フリーダムズ(5つの自由)を満たしていないからです。動物の本来の行動を発揮する場を与えてあげられていなかったのです。

保健所に連れて行くと飼い主が言ったあのタイミングで引き取った私は、偽善の行為だったって思います。あの時は、ただただ助けたくて、2歳で引き取り、約13年過ごしました。15歳過ぎまで。

それでも、私には罪悪感しか残っていないです。

きっと、福祉の勉強をしていなかったら、私はこんな辛い思いは、していないでしょう。殺処分ゼロに貢献出来た満足感で、満たされていたでしょう。自己肯定で幸せだったでしょう。

矛盾していますね。知らない方が幸せなんて。

だから、私の懺悔の気持ちは、語っていかなければならないと思っています。机上の空論ではなく体験者としてです。

前ぶれも無く咬む犬たち

その子は、唸ると言うサインを出せなくなって、突然咬む子でした。それも人間がそうさせてしまったのです。

実は、素人には分からないサインは、いっぱい出ていました。だから、飼い主が「突然咬む」と言っている意味がずっと分かりませんでした。イラッとした顔は、していたので、私たちには読み取ることが出来ました。私が咬まれたのは、ちょうど手で顔が隠れてしまい、彼の表情が見えなくなってしまった瞬間、そして、耳を見ることに一瞬気を取られたタイミングでした。

実は、咬むまでの時間には、たくさんの段階を経ています。いろんな不快のサインを示した後、さらにそれを上回るとうなって威嚇する行為に移行していきます。本来ならそうすることで、咬んで争うと言う最終行為を回避出来るのです。犬も初めから咬みたい訳ではなく、当然争いを避けたいのです。本当は、飼い主は、そこを読み取る勉強もしないといけないですし、うなると言う行為まで持っていっても、もちろんいけないのですが、それ以上にそれを奪うことは、もっとしてはいけないことなのです。

繰り返します。

しつけによって、うなる行為を消去させられていたから、危険だったのです。もちろん飼い主は意識していません。悪意もありません。それがしつけと言う、今の世の中の悪しき常識があり、放送でもそれが肯定されていました

ウーッと言ったら体罰を与える。それが、ウーッと言えない犬を作っているのです。

つまり知らず知らずのうちに、多くの体罰を用いる人(飼い主や動物に携わる人たち)が突然前ぶれも無く噛み付く犬を作っているのです。

困らせる犬は、居ますか。困らせるようにしたのは、誰ですか。

テレビで、人を困らせる犬という表現があり、耳に残っています。人を困らせる犬なんていません。私はそう思います。ちゃんと定期的に当院で慣らす訓練をしている子たちで、そんな子は居ません。犬の特性的には、すごくビビリだったり、きっと攻撃性が潜在的には潜んで居るんだろうななんて子も居ます。だからあのナレーションが、とってもくやしいです。わざとマーキングする子だって、困らせたいと言えばそうかもしれませんが、でもそれって悲鳴なんですよね。そして、そもそもそういう心理にさせたのは誰か考えてみて欲しいのです。犬があんな行為をしたから・・・、危険だから・・・、なんて言えないのではないかと思います。犬たちに少しでも寄り添う気持ちを持てるのなら。

人は、なんて、ごう慢なのでしょう。

心が強い人は、理解出来ないかも知れません。実際、理解してもらえないことも多いです。もどかしいです。私は、きっとこころが弱いのでそんな犬たちの立場に近い感覚を、持っているのかもしれません。だから逆にそれが役に立っているし、お陰で、最近滅多に犬にカラーや口輪を着けなくなりました。力尽くで押さえることもほとんど無いです。注射を打ってもほとんどの子が、「痛い」って振り向かなくなりました。皮膚はピクッと条件反射していることがあっても、頑張るのです。もう、そんな子たちにメロメロになってしまいます。喜んで診察に来ます。恐怖に対する過剰反応が無くなり、診療が穏やかです。だから、楽しく診察が出来ます。

訓練士は過剰に怖がる行為を演技と言っていましたが、演技なんかでは無いです。本当に怖いのです。そして、神経が過敏になっているのです。簡単で単純なことだと、私は思うのです。深呼吸して何も考えなかったら、彼らの気持ちはすっスッと入って来ます。

確かに少し大げさな子も居ます。でも、大げさな!と対応すればするほど、恐怖心はおさまりません。怖いって言っているのに分かってくれないから、もっと大げさに表現するんですよ。だからそれを、ちゃんとていねいに怖くないように対応すると、言わなくなります。彼らの悲鳴です。きちんと向き合って聞いてあげて下さい。

抱き上げる人によって、わんこがキャンと言ったり言わなかったりすると言う経験を持ち合わせている飼い主さんも、たくさん居るのではないかと思います。「私が抱っこしても何も言わないのに、主人が抱くとキャンと言うんですよ」なんて、このパターンはすごくたくさん有ります。それは、犬を変えるのでは無く、人が変わらないといけないってのが、これでもわかりますよね。

あの放送中に言わなくなったのは、単に無気力の状態になっただけで、前述した「うなるのを失う」のと同様、自己表現力を奪っただけなのではないかと思いました。

噛み付かない犬と噛み付く子の違い

うちの子達は、体罰はしてないので、手を上げても顔を背けません。ボーっとしています。そういう恐怖体験をさせていません。攻撃性は、恐怖体験の学習から作られるとも言われています。

たとえば集合注射会場で、頚に注射を打つために手をかざすと、噛み付こうとしてくる子をしばしば見かけます。だいたい飼い主が強い態度に出たり、雑な扱いをしています。ボコボコにされているのも、毎年違った会場ですが見ます。そうすると、本当にわんこたちは、もう恐怖でしかないので、注射の痛みも増します。そして、次年度の集合注射は、もっと騒ぐようになるのです。飼い主は獣医師が怖がらせたと私たちの責任にしますが、飼い主の責任でもあるのです。集合注射で怖がるのであれば、いつもの動物病院で優しく打ってもらう事を選択肢に入れるのも、可能かと思います。今は、動物病院での個別注射も増えています。

もちろん、咬む原因に病気が潜在することもあります。それは訓練士さんやトレーナーさんでは分からないこともあります。診察をして、原因を見つけ、それに対応していかなければなりません。その中で、実技に関してはトレーナーさんなどと連携して行うこともあります。

いずれにしても、犬に恐怖心を与えて良い事なんて、一つもありません。

かわいいからと、ちょっかいを出す飼い主もしばしば居ます。ページ上層部のわんこの写真のような顔をさせて、喜ぶ飼い主もたまに耳にします。それをかわいがっていると言います。そして、その反応をおもしろがっているのです。やめて下さいね。

こう言う飼い主の独りよがりな意味不明の可愛がり行為が、犬の攻撃行動を引き起こすこともあるのです。と言うか、現実とても多いです。奥様方からの悲痛な叫びで「主人が可愛がっているのですが、犬が主人にだけ噛み付くのです」なんてこと。直接的に問題行動として相談を受けている訳ではなく、診察の時にさりげなく引き出すと、潜在しているのです。不信感をつのらせてしまうと、取り返しがつかなくなりますよ。

飼い主さん自身の行動を見つめ直して下さらないので、消去出来ないことがあるのです。

「これくらいのこと、飼い主がガマンすることなんかじゃなく、犬なんだから犬にガマンさせるのは当たり前。あなた(獣医師としての私)は、プロなんだから、もっとまともな指導があるだろう」と。

理解してもらえないのは、こちらの努力より、彼らの不信感が上回っていると考えると、結構簡単だったりもします。

獣医師や訓練士がサジを投げたというように言われていましたが、これをしないと治らないと言ってもせず、それ以外のことを求める飼い主も、ごく稀ですがいらっしゃいます。それを実践しないがためにこじれてしまい、あんな風な強行突破になっているような現実もあることを、みなさんにも知って欲しいです。だって、犬側の言い分なんて聞けないでしょ?人間側の言い分だけで、彼らは無理強いされているのだから。考えただけでも涙が出てきます。

もしそうであれば、その様な背景でサジを投げたと言われてしまうのは、あまりにも乱暴な表現かもしれませんよね。

確かに間違った知識によって振り回された子たちも居るでしょう。ただ、私が今述べたようなケースも、私自身が実際に出会いますし、あちらでもたくさんあるのではないかと、放送を見て思いました。飼い主が自分自身を見つめ変わることが出来ないのなら、犬の精神を骨抜きにする。そんなイメージにも捕らえられます。世論も、犬は従わせるものだからと言うのが大半なのでしょう。私は、犬は従わせるものとは一切思っていません。

そう考えると、まだまだ日本は、動物福祉後進国なのだと、自覚しないといけないのですね。

体罰を肯定する日本国民の文化

殴られるのが日常だから、頭の上に手が来るのが怖くて攻撃に転じるのに、あの訓練所に集まったワンコのほとんどとは言いませんが、そう言う経験をしている子が多いと思いますし、それがしつけと思っている世間の考えが存在します。

世論が、ああ言った犬たちや、あの様な訓練を肯定せざるを得ない訓練士を、作っています。

あの訓練士さんも苦しい事でしょう。犬が好きだから、本当はしたくないとつぶやいていましたよね。

昔、戸塚ヨットスクールの問題がありましたよね。若い方は知らないかもしれませんが。その時に、多くの方が、体罰はダメだと声を上げたではないですか。でも、犬だったら良いのですか。どこに違いがあるのでしょうか。

私は人間に関しては、ほめるしつけは嫌いです。ご機嫌取りをして、一から十まで何でも教えないと動けないような人間を作って欲しくないです。

ただ動物の場合は、そもそも一般の方の期待値ほどの理解度が無いのです(*注釈)。まず私たち人間が、犬を理解するところから始めないといけないと思います。と言うのは、人間の生活に彼らに加わってもらっているからです。多くの飼い主さんが、「犬を飼っている」という言い方をします。何も間違っていません。しかし最近違和感に変わってきたのです。「犬を従えている」って表現に聞こえて仕方ないのです。

犬のことをしっかり理解しないで、そのように相手に強く出る行為が、害でしかないのも分かっていただけるのではないでしょうか。

甘やかしは、もちろんしてはいけません。わがままは通してはいけません。わがままが通る生活をしていると、通らない時が彼らは葛藤し、つらいですよ。

しかし、甘やかさないから厳しく体罰を与えると言うのは、まったくの極論です。

(*注釈:ただ今は、犬たちに考えさせて、自主的に動くようなトレーニングも取り入れられています。)

ほめるしつけは、間違っているのか?

褒めるしつけが問題行動を助長していると、訓練士さんはおっしゃっていました。私はそうではないと思っています。

ほめるしつけがそうさせているのではなく、やり方が中途半端だったりもします。みなさん、ほめるのがとても下手ですし、ほめるべきタイミングで、全然ほめていません。当たり前ってスルーしていることが多いです。ダメな時には敏感に反応するのに、出来た時の反応は、にぶいのです。

私は昔は、指示を出す時は「低い声でビシッと言って下さい」と言っていました。当時はそれが当たり前でした。しかし今は、全然そんなことはしません。モチベーションを引き出す方法をみなさんに伝えています。ほめてほめて、ほめまくっています。ルンルンにさせます。ネガティブな気持ちにさせて無理矢理その行動をさせても、心に残りません。

それは、高齢になればなるほどそうです。当然記憶力が落ちますから、トレーニングの達成率も格段に落ちます。でも、ほめるしつけだったら、うちの子たちもみんな上手くいっていますよ。強制の投薬を一時期嫌がるようになりかけましたが、今は、お互い楽になりました。

また、「問題行動が増えた」と放送中に言われていましたが、そうではなく、問題行動に向き合う飼い主さんが増えたというのが正しいのではないでしょうか。

さらに、室内飼育がほとんどになり、動物との距離感が近くなり、問題にも気づきやすくなった。

不適切な排泄や分離不安、破壊行動も、おそらく屋外で飼い、散歩とご飯だけの接点では、問題になりにくいでしょう。

また無駄吠えに関しては、無駄吠えが増えたのではなく、音に関して寛容さがなくなった昨今では、今までは放置されてしまっていた問題が、明るみに出てきていると言う点もあるのではないでしょうか。

そして、終生飼育が義務づけられ、飼い主さん自身が最後まで面倒を見るという責任が生まれ、今までなら、「問題行動が出たら、すぐ保健所で処分」という構図から、「問題行動が出たら、訓練士さんや動物病院で相談しよう」というように変化したのも一つの理由ではないでしょうか。

訓練所に来る数が増えたからと言って、問題行動が増えている訳ではないのです。

訓練士さんが実感としては、その様な感覚になってしまうのも無理はないでしょうが、私は一般臨床をしていて、動物たちの問題行動は確実に減っていると思います。

これも報道側が、ある一点からしか見つめていないから、こう言う間違えた伝え方になっているのです。

あの放送で、あの訓練士さんは決して嘘をつこうと思っている訳では無いはずです。しかし、世間の強い風当たりで、いろんな情報の遮断が起きているのではないかと思います。だからこそこうやって、別の視点からフォローの意見を発信し、皆様の誤解を解かなくてはならないと思いました。

あなたはなぜ、その犬を飼うのですか?

例えば、過干渉を過剰に嫌う代表に、柴犬が居ます。

彼らは昔は屋外で飼われていました(*注釈)。しかしそう言った犬種を室内で飼うことで、関係が近くなり過ぎたのも、またアイドル犬のお陰で、柴って大人しい、飼いやすい、従順だと勘違いしている飼い主が増えたのも要因でしょう。柴犬は、作り込まれていない犬で、犬の祖先にとても近い品種なのです。日本には海外のように犬を選別して作り出すという文化としてのブリーディングが、長年存在しなかったからです。だから一般的に、この犬種は従順ではないし、訓練性能は低いですし、警戒心も強いです。さらに、がまんをさせるとストレスをためます。猫のようなイメージがあり、それがまた魅力でもあるのですが、そういう事を知らずに飼う飼い主さんが、彼らを苦しめます。

犬種特異性を知らないといけません。そして、もちろん個体差はあります。だから、ゴールデンレトリバーは、柴犬と対照的な犬種として代表に上がります。警戒心も少なく、とても飼いやすい犬種です。しかし、ゴールデンレトリバーでももちろん、咬傷事故に至ってしまった個体も居ます。それそれの個性を知り、その子その子にあったつきあい方を人間が学ぶのであって、犬自身の厳しい訓練をすれば、なんとでもなるもんじゃ無いのにと思うと、伝わらない時、胸が締め付けられる思いです。

と言う事で、最近このような放送が立て続いて、すごく気持ちが滅入り、辛い日々を過ごしております。

そして、問題行動を出している家でも、そうでない家でも、実はほとんどの飼い主さんが見た目重視で、ライフスタイルに合った犬を選べて無い現実があります。

そのようなのも原因。

(*注釈:外で飼って下さいと言っていません。今は、夏も冬も環境変化が激しすぎるので、室内飼育を推奨しています。また、アメリカなどでは、屋外で飼うことを禁止する法律もあるくらいです。)

虐待が増えませんように

あの放送で、みなさんがあの訓練方法に賛同して、厳しいしつけを、まねしないことを祈るばかりです。

虐待です。また、時代を逆戻りさせるのでしょうか。

かわいそうだけの感情論で言っていると思われるのが本当に嫌なので、あえて冷たい言い方を選んでみますね。診察もしにくくなります。しにくい中で無理な保定をすると、また動物にも不快な思いを与え、悪いサイクルにどんどん陥ってしまいます。

心を痛めている動物の事を見聞きすると、獣医師というプロの立場から、こう言う流れを止められない罪悪感に、押しつぶされそうになります。

最後に

この放送のあとに、今回出演された訓練士や飼い主さんへの誹謗中傷が続いているそうです。あまりにも短絡的すぎます。

やめましょう。あなたも予備軍なのです。

私たちに出来る事は、困っている人に可能な範囲で手をさしのべること。そして、体罰を用いた飼い方の副作用を多くの方に伝え、不幸なわんこを作らないこと。それが、殺処分を減らすことに繋がるのです。

世論のせいで、訓練士さんも、飼い主さんも孤立してしまったのです。そして、頑なになり外部を遮断をして、ああせざるを得ない状況になってしまったのです。それを責め立てても何も生まれません。

ああいった訓練がどうのこうのと言う前に、社会化期の訓練を怠らず、しっかりと正しい方法で馴化訓練をすることや、問題が出てからあわてるのでは無く、出ないような予防方法を教わるために動物病院スタッフや、可能であればドッグトレーナー(訓練士やインストラクターを含む)との関わりを持つこと。当院のかかりつけの方には、飼い方指導や病院に慣れる練習くらいであれば、お手伝いしていますよ。たくさんの子が遊びに来ています。全国にはそんな動物病院もありますし、その様なサービスが無かったら、ドッグトレーナーさんとの上手なおつきあいも、必要かもしれませんね。

どうして犬を飼い始めたのか、原点に戻りましょうよ。

問題行動が出た場合は、しっかり時間と費用をかけ診察しています。とても大変です。そして、治せないこともあることも理解してください。神経過敏に育ててしまった子を、大人になって今さらのようにヘラヘラ犬には出来ません。そこまでにはならなくても、問題を起こさない程度の慣らす訓練は、小さい頃から飼ったのであればやっておかなければなりません。一度途切れた信頼関係を戻すのも、並大抵の努力では無理です。

だから、とにかく予防なのです。

お願いです。飼い主さん、時間を割きましょうよ。本当は飼い主さんが頑張らないといけない事なのですよ。私たちが、頑張ろう頑張ろうと言って頑張ることではないのです。でも、あとあと大変になってしまった子たちを、目の当たりにしてきている経験があるからこそ伝えているのです。また、不幸な動物を作りたくないから、私も時間を割いているのです。今の日本のこのご時世で、必要とされている動物病院の業務なんて、本来なら診療だけしていれば良いのです。でも、ここまで読んでいただいた方には、分かっていただけると思うのです。

訓練というのは、ビシバシすることではないです。動物にガマンさせるのではない慣らしと、人間生活における規則を教えてあげる事。そして、人間自身が犬とのつきあい方を学ぶことなのです。また、その問題がこじれないようにするために、行うものです。犬の訓練とか、トレーニングという言い方がいけないのでしょうね。

だから、「犬のことを勉強する」に変えましょうか。その勉強の中に、犬に無理なく人間との生活に慣れてもらう練習も、含まれるのです。

例えば、小さい時から手足を触るのが嫌なことではないようにならしておくと、採血や治療の時にとても扱いやすいです。当院のストレス緩和のための治療の取り組みも参考になさって下さい。⇒https://kiyomi-ah.com/low_stress/

そういう意識が変わらない限り、あのような訓練はなくならないでしょう。今回の放送に嫌悪感を示すのであれば、世の中を変えていかなければなりません。

まず身近な動物を、真剣に大切にしましょう。

私は日々の診療でそれを伝え、さらに、このブログを通して多くの方に発信し、みなさんの心に少しでも響いて下さることを祈っています。

そしてあの訓練士さんが、あのようなご自身の心も苦しめてしまうようなトレーニングから、1日でも早く卒業出来ますように。私たちがきちんと目の前の子に向き合うことで、変わるのです。

そう、みなさんで願いましょう!

そうすれば、みんながハッピーでしょ♡

しつけと言う言葉を使うのが、私はあまり好きではありません。しかし、わかりやすくするために、あえて使っております。その他の言葉でも、私が普段使わないものも多々含まれますが、伝えやすくするために、一般的に使われている言葉を選んでいます。

追記

  1. 常同障害の医学的見解の言い回しと、1カ所で正の罰と表現していた部分を、体罰に修正しました。正の罰は、可能な限り使いませんが、嫌悪刺激も正の罰に含まれますので、あえて体罰と書き直しました。
  2. ブログの内容の著作権は当院に帰属しますので、切り抜きはご遠慮下さい。リンク、シェア、リツイートなどは、大歓迎です!拡散にご協力下さりありがとうございます。